ウェルビーイング スタッフブログ

ナイチンゲール

こんにちは。

訪問看護ステーションウェルビーイング松澤です。

 

5月12日は「看護の日」でした。

近代看護を築いたフローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなみ、5月12日に制定されました。1965年から、この日を「国際看護師の日」に定めています。

今日は、フローレンス・ナイチンゲールについてご紹介したいと思います。

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 1820年、イギリスの上流階級の家庭に生を受けたフローレンス・ナイチンゲール。
季節ごとに豪邸を移り住むほど裕福な家庭で、まさに彼女はお嬢様でした。
幼い頃から聡明で、特に数字に関する強いこだわりを持っていたナイチンゲールに対して、博識の父親は自ら一流の教育を施します。
家族、特に母親と姉からは「変わり者」と評されることの多かったナイチンゲールですが、完璧主義でまじめな性格ということもあって喜んで勉強を続け、次々と知識を吸収していきました。

あるとき一家は、1年半にもわたりヨーロッパ諸国を巡る長旅に出かけ、17歳のナイチンゲールはパリで社交界デビューを果たします。美しい彼女は人気者で、本人も華やかな世界を楽しみますが、一方で何か違和感を覚えるようになりました。

帰国後、満たされぬ感情を整理したいという思いから、ロンドンに住む伯母のもとで学んだのは数学。
彼女にとっては、数字の持つ規則性こそが心の安らぎをもたらしてくれたのかもしれません。

 

ナイチンゲールが22歳の年、イギリスは大凶作に見舞われました。
レディー教育の一環として、母親はナイチンゲールと姉を病人が集まる農民小屋へ連れていき、慈善活動を体験させます。
そこで貧しい病人たちの惨状を目の当たりにしたナイチンゲールは衝撃を受け、同時に自身の恵まれた環境を思い知ったのです。
「世のためになる仕事をしたい」「苦しむ人々を助けたい」・・・そうした情熱が心の底からわき上がり、彼女は看護師になることを決意しました。

しかし、当時は一般的に「病院=汚くて怖い場所」というイメージが強く、看護師も決して上等な職業とはとらえられていませんでした。
ましてや、良家の子女が看護師になるなど考えられないような時代だったのです。
ナイチンゲールに決意を打ち明けられた家族は気が動転し、医療の本を読んだり病院を見学したりするたびに、彼女をひどく罵倒したといわれています。
また、愛していた男性から正式にプロポーズを受けたにもかかわらず、看護師になる夢をどうしてもあきらめられなかったナイチンゲールは、それを断腸の思いで辞退せざるを得ませんでした。
そこまでしてもなお、ナイチンゲールの決意は揺るがなかったのです。

一方で、ナイチンゲールの看護に対する情熱を好意的に受け止める人も出てきました。
ヨーロッパ諸国の病院を歴訪し、各施設の状況を詳細にまとめ上げた功績から、彼女にロンドンの婦人慈善病院の再建を依頼してきたのです。
ナイチンゲールはそこで鈴を活用したナースコールや食事を運ぶリフトなどを次々と導入し、近代的な病院作りに尽力しました。

 

その後、ヨーロッパ各地の病院を改革していったナイチンゲール宛に、戦時大臣から手紙が届きます。

そこには、クリミア戦争で生まれた負傷兵の送られる病院が厳しい状況にある旨、そこへ看護団を結成して向かってほしい旨が綴られていました。

34歳の秋、ナイチンゲールはスクタリ(現在はトルコの都市・ユスキュダル)の英国陸軍野戦病院へと赴きます。

ナイチンゲール自ら面接した病院看護経験者と修道女、総勢38人の看護団が目にしたのは、地獄と呼ぶにふさわしい光景でした。
負傷兵たちは30cm間隔で泥だらけの床に寝かされたり、ネズミやノミがひしめく廊下の汚いベッドに寝かされたりしていました。
しかし、医療品も医療スタッフもまったく不足していたにもかかわらず、医師たちは看護団を拒絶します。
「医務官が指示を出し、雑役兵が看護する」という形式に固執していた彼らにとって、ナイチンゲールたちを受け入れるのは難しいことだったのです。

そこでナイチンゲールは、軍の規則に従った上で自分たちにできることはないかと考え、食事に目を付けました。
野戦病院の食事は劣悪なもので、生煮えの不衛生な肉類や栄養のない煮汁などが冷め切った状態で提供されるばかりか、自力で食事を摂れない者は放置されるありさまでした。
ナイチンゲールは看護師宿舎の炊事場を使って葡萄酒入りの葛湯を作り、何とか医師の許可を得て負傷兵たちに与えました。
彼女が野戦病院で行った最初の看護は、「患者へ適切な食事を与えること」だったのです。
その後、大量の負傷兵が運ばれてきて医師の手が回らなくなったことをきっかけに、ナイチンゲールたちも正式に看護に関わることができるようになりました。

ナイチンゲールは、院内での死者が増加する一方なのは、環境の不潔さに原因があることを見抜きました。
排水溝からあふれ出した下水や汚物が病院に流れ込み、便器も使用不能なほど汚染されており、負傷兵たちはコレラや赤痢に次々と感染していったのです。

病院のシステムを根本から改善すべく、ナイチンゲールは2つのことに取り組みました。
一つは、物資の管理です。
医療品はもちろん、食材や衣類など病院に必要なありとあらゆるものを整理し、不足しているものを一括して発注する仕組みを整えました。
もう一つは、衛生環境の改善です。
汚物の処理を定期的に行うことを徹底し、壁や床下まで清掃と害虫駆除を行いました。
さらに、病院の外にある家を洗濯小屋へと作り変え、清潔なシーツや衣類を常に使用できるようにしました。

昼夜暇なしに働き続けたナイチンゲールは、毎晩ランプを持って全長6kmにもなる病棟の廊下を巡回し、負傷兵たちへ優しく声をかけていきました。

その姿から彼女は「ランプを持った淑女」と呼ばれるようになり、負傷兵たちの心を大いになぐさめたといいます。

 

クリミア戦争は1856年に終結し、ナイチンゲールの率いた看護団は帰国の途に就きました。
ただし、任務途中での退職や病死も多く、船上にあったのはわずか12人でした。

大役を終えて故郷へと帰ったナイチンゲールはまさに英雄扱いで、会見の要請や宴席への招待、そして求婚までもが殺到しました。
一方で、彼女自身は野戦病院の経験からPTSDに苦しんだこともあり、そのように騒がれることをまったく望んでいませんでした。
クリミア戦争の悲劇を繰り返したくないという強烈な思いから、統計学を駆使して報告書をまとめ、兵士の死亡した原因の多くが劣悪な医療や環境にあることを証明していきました。

妥協せず働き続けるナイチンゲールは自身の健康をも損ねていき、37歳の夏、ついに危篤状態に陥ります。
死を待つ場所としてバーリントンホテルの別館に部屋を取り、幼いころ数学を教えてくれた伯母らに面倒を見てもらうことになりました。

しかし、ほとんど寝たきりの状態になりながらも彼女は動くことをやめられず、陸軍改革のために委員会を設立するなど政府への働きかけを行いました。
そうした彼女のもとには多くの面会人が訪れました。
官僚や学者はもちろんのこと、なかには一国の女王や皇太子妃もいました。
その様子からナイチンゲールの滞在した部屋は「小陸軍省」とまで呼ばれ、その名の通り大きな影響力を発揮しました。

ナイチンゲールは執筆活動にも精力的で、代表作となる『看護覚え書』を1859年に書き上げます。
家庭婦人向けの本として発売されすぐに人気を博した同書は、それまでの衛生習慣を根底から覆しました。
1860年にはナイチンゲール看護学校を開設し、その卒業生たちが世界各国の病院で優秀な指導者となっていきました。

45歳になると、ナイチンゲールはあらためてロンドンに自宅を構え、そこでも救貧院の改善や産褥熱の研究などに力を注ぎ続けました。
その自宅へも世界中から面会者が訪れたといいます。

徐々に視力や記憶力が衰え、人の区別もできない状態になりながらも命の火を燃やし続けた彼女は、ついに1910年8月13日、90歳でその生涯を終えました。
激動の人生の最期は、穏やかな大往生でした。

春の訪れ

 

こんにちは!

訪問看護ステーションウェルビーイングの松澤です。

 

暖かい日も増え、春を感じる気候にウキウキする今日この頃。

花粉症の方にはツラい季節ですね‪( ;ᯅ; )‬

 

ゆっくりの和の軒下に、ツバメが帰って来ました。

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遠賀川河川敷では、今週末チューリップ祭りが開催されますよ♪

菜の花やスイレンの花も綺麗に咲いてます。

そろそろ桜も咲くのではないでしょうか…。

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みなさんも春を感じに出かけてみてください(*ˊᗜˋ*)

 

愛情を注げば…

こんにちは。

訪問看護ステーションウェルビーイングの松澤です(⊙ө⊙)

 

ウェルの新しいチラシができました☆

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ご家族や親戚、お友達で、介護に悩まれている方がいらっしゃったら、「ウェルビーイングっていうところに相談するといいよ!」って伝えてください。きっと力になれますっ୧(๑•̀ㅁ•́๑)૭✧

 

さて、暖かい日も増え、春がもうすぐそこまで来ていますね☆

 

葉っぱがしおれてしまっていたシクラメン…

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他部署にあったものを、奥野管理者がウェルに引き取り、毎日愛情を注いで…

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元気になりました♡新たな蕾もできてます!

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奥野管理者、もうひと株引き取ってきて育て始めました。きっとすぐに元気になります!

愛情を注げば、植物も動物も人も元気になってくれます«٩(*´꒳`*)۶»

看護と通じるものがありますね~\❤︎/